1.プレイバック




 辺りが少し暗くなって、グランドの野球部もちらほら帰り始めた頃、私は屋上にいた。
少し古くなったフェンスは、7月の太陽にすっかり焦がされて、夕日が沈んだ今も少し熱を帯びていた。
時折吹く風が少しずつフェンスを冷やしていく。私はその風の匂いが好きだった。
「どうして呼び出した本人に待たされないといけないわけ・・・」
こんな時間に、こんな場所に誰もいるはずもなく、私は独り言のように愚痴をつぶやく。
 昼休み、明美とお弁当を食べていた私のところへ急にやってきて、徹弥は笑顔で言った。
「今日の放課後、また屋上に行く?だったらちょっと話あるから待っててほしいんだけど」
何の悪気もなくそう言ってのけたその言葉を理解するのに、私は10秒ほど固まっていたかもしれない。
 どうして私がいつも屋上にいることを知ってるの?
 私がいつも屋上で何をしているのか・・・ばれた?
動揺を隠すのに精一杯で、何かを言わなければいけないのに、声が出ない。
金魚みたいに口をぱくぱくさせる私を見て、徹弥は笑った。
「じゃあまた放課後に」
私の返事を待たずに廊下へ消えてしまった。
「もしかして、実久、コクられるんじゃない?」
隣で明美が私をいじる気満々の顔でニヤニヤしている。彼女はSだな、と思った。
「そんなわけ・・・!」
「でも実久、顔赤いよ」
こうなってしまった彼女をはぐらかすのは並大抵では無理で、結局私は昼休みの間中いじられることになってしまったのだった。


 時計を見るともう7時を回っていて、グランドの野球部の姿もなくなっていた。
私は帰宅部だから、いつもなら1時間ほど前にこの場を離れているはずなのに。
グランドに誰もいない光景を見るのは初めてだった―
 屋上は見晴らしが良くて、ただでさえ丘の上にあるこの学校なので、街中を見渡すこともできた。
遠くの信号が青に変わったり、電車が毎日時間通りに行ったり来たり。
何でもない街並みなのに、見ていてホッとしてしまう。
周りのみんなは、部活だの、勉強だの、毎日忙しい日々を送っている。
それが何かに急かされているように見えて、私はそれが嫌いだった。
 私は自由になりたかった。
1年のときに入っていたバレー部をやめてしまったのも、部活と言う束縛が嫌だったから。
勉強だって本当はしたくない。だからやりたいときだけやる。
おかげで私の成績はいつも中の下あたりだった。でも気になんかしていない。
そんな私の唯一の楽しみが、この誰もいない屋上から周りを見渡すことなのだ。
グランドで活動している部活はもちろん、学校の隅にあるプールの水泳部まで見えた。
暑い7月の太陽を浴びながら、延々と動き回る野球部やサッカー部に比べて
水泳部の連中は涼しそうにプールを泳いでいた。
いつしかそれを、憎いのか羨ましいのか、私はずっと見るようになっていた。
決して多くない人数。少し遠いけどぎりぎり誰だかわかるくらい。
やっぱりみんなガタイいいなぁ。別に私はマッチョ好きってわけじゃないけれど。
徹弥もそんな水泳部の一人だった。


 去年も同じクラスで、人見知りのある私に初めて話しかけてきた男が、たまたま隣の席の斉藤徹弥だった。
「消しゴム貸してくんない?」
ただそれだけのことなのに、私はすごく動揺した。
消しゴムを渡すと、彼はニッコリ笑ってありがとうと言った。何かいたずらを成功させたときのような、そんな感じの笑顔だった。
それからちょくちょく私に何かを借りるようになり、その度にいたずらっぽい笑みを浮かべる。
何故かそれが私には心地よくて、いつしか徹弥に人見知りすることもなくなっていた。
 席が離れると彼の要求もなくなり、私は何だかつまらなかった。
私の代わりに、また隣の席の子に何かを要求しているのかと思って授業中見張っていても、特にそんな仕草はなく
彼も成長したな、と思って私は一人母親のような気持ちになった。
その時、ふと、徹弥がこちらを振り向き、目が合ってしまう。
私はドキッとした。一瞬徹弥が見せたことのない顔で笑ったから。
いつものいたずらっぽくない笑顔。私の胸の鼓動を見透かしたかのような笑み。
すぐにまた、いつもの笑顔に戻ると彼は前を向いてしまった。
私は、心臓の音が耳の近くで聞こえていた。


 それから私は、徹弥のあの笑顔を見るためにしょっちゅう彼を眺めるようになった。
あの笑顔の理由が知りたくて、何故私がドキッとしたのかを教えてほしくて。
屋上からプールを眺めていても、彼を追いかけるようになっていた。
表情はよくわからないけど、それでも私は徹弥を見ていたかった。
「そりゃあ、恋なんじゃないの?」
お弁当のおかずを口へ放り込みながら明美が言う。
さっぱりしすぎている性格の彼女は、私の悩みよりもおかずのほうが大切のようだった。
「そんなんじゃないと思うんだけど・・・。理由が知りたいのよ私は」
「何の?」
「笑顔の」
それを聞いて明美は大笑いした。そしてその後に「重症だよ」と付け加えた。
私は少しカチンと来たが、あまりにも笑う明美を見て呆れてしまった。
そこへタイミングよく現れた徹弥。
私の秘密を知っている男。


―その秘密を教えてほしくて私は屋上で一人待っているのに、どうして本人が来ないのか。
時間を聞いておけばよかったな、少し後悔したがもう遅い。
突然携帯が鳴って、私はあわてて携帯を見る。知らない番号だった。
「もしもし」
「あ、俺だけど」
聞き覚えのある声。最近あまり聞いてなかった声。
「斉藤君?」
「そうそう、俺です」
「俺俺詐欺みたい」
電話口で徹弥は笑っている。私は少しドキドキしている。
「木下って思ってた以上に面白いのな」
しかし私には聞きたいことがたくさんある。
どうして番号を知っているのか、なぜ私が屋上にいつもいることを知っているのか、なぜ今日屋上に呼び出したのか、あの笑顔は何なのか。
「あの―」
「俺さぁ、今日ほんとは屋上行って言うつもりだったんだけど急にバイトはいっちゃってさ」
私のことはおかまいなしに。それが今になってようやく怒りにかわる。
「それで、木下には悪いんだけど、電話でもいい?」
「へ?」
突然質問されたもんだから、変な声を出してしまう。そして、何が悪いのか。
そのとき電話の向こうで彼が笑ったような気がした。あのいたずらの顔で。
「俺、木下が好き。今度付き合ってよ」
「へ・・・?」
私が望んだ質問の答えの1つを、あっさり言われ呆気にとられる。
「じゃあ俺バイトあるからまた明日。バイバイ」
「ちょっと、ちょっと待ってよ斉藤君?斉藤君!」
虚しい電子音が耳元で鳴り響く。私の胸は、ドキドキしている。
誰もいない屋上に風が吹く。遠くから誰かが見ているような気がした。
私の怒りは何処へ。


-End-

by Ria. from06/11/23


あとがき

久しぶりの割には、自分ではいい出来だと思います。
それでもやっぱり自分の語彙力、文章力の無さが少し恥ずかしいですね。
このお話は、色々な小説に影響されつつ書いたお話です。
もしかしたら続編を書くかもしれません。


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